レポートボランティアによる感想
今回のワークショップフォーラムのプログラムのほとんど全てを記録してくれたのが、レポートボランティアの皆さんでした。何名かの方々が、以下の通り、ボランティアとして参加してくださった感想や意見を寄せてくださいましたので、ご紹介します。(敬称略)
なお、レポートのウェブ公開が半年以上遅れた理由は、おもに実行委員会スタッフ側にあり、レポートボランティアにはないことを明記しておきます。
レポートボランティアとして参加して/深川聖美
●レポートについて
レポートは書き始めるのにとても時間がかかった。振り返るのが怖いくらい、怒濤の3日間だったので、振り返り始めると日常生活がはかどらないくらい。それでもレポボラとして参加できて本当に良かったと思う。大きなイベントの裏舞台を垣間見ることができたことは、これからの私の活動にきっとプラスになることでしょう。オールスタッフミーティングも私にとってはとてもいい勉強でした。
ここでの実行委員長も素敵なファシリテーターだなぁと思いました。ゲストのみなさんが、レポートボランティアのことをしっかりと把握してくれていたことで、とてもいい条件で参加させてもらえたと感じました。
今後もレポートボランティアを採用していくならば、もう少し早い段階でコアスタッフと打合せができると望ましいのではないかと思います。実のところ、赤城入りするまで全体像が見えておらず、戸惑いは大きかったです。しかし、赤城入りしてからは、実行委員の方や赤城のスタッフの方のフォローで、安心できました。
全体の運営で、時間が大分押していたのが気になりました。私がしている活動で、ワークショップのグランドルールというのがあります。
・「参加」積極的に参加しよう、それでもノーを言える雰囲気をつくろう
・「尊重」出された意見は全て尊重しよう
・「守秘」個人的な内容が出た場合、それを再度口に出せるのは発言した人のみ
・「時間」時間は守ろう------の4つです。
3つまでは完璧だったと思われますが、時間だけが気になりました。200名もの人が動くフォーラムの運営は本当に大変だと思いました。どんなに素晴らしいワークショップでも時間が守れないと、
参加者の中には時間のことが気になり、集中できない人も出てくるかもしれません。これは、私の普段の活動の中でも大きな課題です。それでも、実行委員の臨機応変な対応がとても素晴らしいと感じました。
●ファシリテーターをみる目を養うというテーマについて
私個人まだまだ養うまでには至っていない気がしますが、フォーラムで体験したことと、私の行っている活動とが重なり合ったり、またフィードバックする時に、一歩一歩このテーマに近づけるような気がしています。今思うと、このテーマは3日間だけでなく、その後もずっと自分自身へのテーマになっていくことが予想されていたのかも知れない。
●参加したワークショップについて
オープニング・ワークで、バリアは自分で外す努力を惜しまなければ、外すことができるのだ、そう思った。そして西田氏のWSで、「私たちは様々なものの中から、自分に本当に必要なことを自由に選ぶ権利がある。そして選びとったことに責任を持ち、自らを認めていくこと。それは私たち人間の成長に欠かせない。人はいくつになっても成長し続けることができる素晴らしい力を持っている。その力と今まで歩んできた道のりを認め、自分を尊重することができるようになりたい」と、深く感じました。
●余談
私は愛煙家ですが、喫煙室で顔を会わせるメンバーと多くの振り返りができたことは本当に良かったと思う。今までタバコを吸っていてこれ程良かったと思ったのは初めてでした。マイノリティを感じながら、それでも何故か安心できる場でした。

レポートボランティアを終えてみて/鈴木智子
今、記録した写真や、レポートの文字を読み返し眺めながら、あの3日間があっという間だったことを改めて感じている。今では半分夢だったようにも感じる。
いろいろな想いや、考え、悩み、不安、期待などを持って赤城に集まった私たちは、あっという間だったけれど今は確実に何かが変わったはずである。なぜなら、その記録がここにあるからである。
また、この記録には残っていないことも、たくさんあったに違いない。例えば、夜のお酒を飲みながらの会話や、お風呂でゆったりの時の話など。
ずっと前から、いつも考えているのは、「なんて、私は無力なのか」。ということである。日々良いことばかりではなく、悪いこともたくさん起こっている。そんな中で、私なりにいつも解決の糸口を探していたり、行動していたりもする。でも、なかなか変わらない。そのたびに嫌になってしまう。だから、あの最後のゲストフリートークの加藤さんの涙に、私もつられて泣いてしまった。でも、加藤さんがおしゃったように、他の講師の方々がおしゃっていたように、いろいろな人の想いが、繋がり形になったら、きっとすてきになるに違いない。その為にも、私もみんなと同じように、がんばっていきたいと思っている。
心細くなったり、寂しくなったりしたら是非、この記録を読み返して、あの時のことを思い出して、がんばってほしいと強く思う。また、私も是非そうしたいと思っている。
最後に、微力ながらこのフォーラムにレポートボランティアとして参加出来たことを心から感謝し、いろんな、いろーんなみなさんに、お礼をいいたいと思う。ありがとうございました。

レポボラ体験記/吉本紀子
今年二回目の開催で、ファシリテーションというテーマで全国から160人の参加者を集めるワークショップフォーラム.....それはどんなものなのか、うまく想像がつかなかった。それはきっと、自分が日常で体験できない世界だろう。その反面、それは意外と狭い世界かもしれない、と思った。日本でファシリテーションに関わっているといえる人はそんなに多くはないに違いない、ゲストも参加者も知った顔、というのだったら、それを壊す人間が少しでも加わったほうが面白い。
私は昨年の参加者にこのワークショップフォーラムのことを聞き、ホームページを覗いて興味を持って、レポートボランティアに申し込んだ。知り合いもいなければ、ファシリテーションに関わるような職業でもなく、言葉の定義から始めなければならないような私にとって、これはチャレンジだったが、逆に客観的に記録をとれるのではないかという思いもあった。参加動機は二つ、新しい人に出会いたかったことと、文章を書きたかったことだ。
金曜の夜に赤城に着き、翌朝参加者が集まり始めても、まだ私は「ぴんときて」いなかったのだと思う。場の空気や集う人々の動きは、慣れ親しんだものに近く、違和感はまるでない。しかし、全国から集まってきた老若男女、異なるバックグラウンドの個性が重なり、ぶつかりあうとき、そこで何が生まれるのかがわからなかった。私はファシリテーションをある種、テクニカルなもの、手法だと思っていた。それを「学ぶ」あるいは「評価する」ということがこれから行なわれるのだろうと無意識に感じていた。
しかし実際はもっともっと「生き物」だった。ゲストや参加者の口から何度も「場」や「空気」という言葉が飛び出し、パロマさんのオープニングのワークショップが終わったとき、これはもっとやわらかく、むずかしい仕事だと感じた。それは言ってみれば、料理のようだった。同じレシピで作っても、材料の鮮度や相性や湯加減や気温や作る人のさじ加減で料理は如何様にも変わってくる。同じ材料、同じ手順を踏んでも、そっくり同じ味は二度と出ないと言ってもいい。それなのに、自分の作る料理はなぜか自分の味がどこかに出てしまう。
そんなことをじっくりと考えたのは、実はすべてが終わってからで、最中は必死だった。記録に必死だったというよりも楽しくて必死だった。ゲストと実行委員と参加者、その三者が分かれることなく深く関わり合っていて、主体的に、いいものを作り出したいという空気が常にあった。フォーラム全体がひとつのワークショップだったといっていいだろう。
私はほかのレポートボランティアの人たちにいろいろ助けてもらい、少しではあるが、ワークショップにほとんど参加者として参加させてもらった。それでも、私にとってそれはまだまだ入り口であり、「ファシリテーションをみる目を養う」ところにはとても届いていない。なので、個々のワークショップの感想はここでは控えたいが、その時間の濃さ、自分の中の感情を味わい、レポートを書く過程でもう一度ふりかえりを行う機会を持てたことは本当に貴重な体験だったと思う。
最後に、今回ファシリテーションに関して全く素人の私をレポートボランティアに選んでくださった実行委員のみなさん、助けてくださった赤城の職員さん、そしてたくさんの元気と力をくれたレポボラのみんなに心からお礼を言いたいです。この経験を思い出にとどめずに、次に自分から発信していこうと思っています。これが今回の最大(かつ基本的!)の学びといえるでしょう!ありがとうございました!!

レポートボランティアとしての感想/高森茂範
紅葉の赤城フォーラムを終えて1カ月がすぎようとしています、まだ自分の中に残っていることを書き残したいと思います。
レポートボランティアとして私がこのフォーラムのお手伝いをした目的は参加者が心地よく学べるフォーラムづくりを運営者として支援することと「ファシリテーターとして個人・グループのプロセスをどの様な視点から観るか」ということでした。フォーラムをレポートしながら感じたことはファシリテーターが何を見ているか、どのようにワークショップを作り上げるか、そして何を準備しているのかということでした。
まず最初はフォーラムを行う会場の装飾や音楽、その場の雰囲気などの「場や環境作り」を行っていることでした。パロマ氏のオープニングワークでは庭から集めた紅葉した落ち葉と枝で会場に秋を呼び込み、音楽と楽器を使いリラックスした空間を作り、プロジェクターで映しだした映像で彼女の世界へ入り込んでいくような雰囲気でした。彼女の書いた絵にも特徴があり、ロジカルな感じではなく右脳を使った直感的な場づくりを感じました。
つぎは参加者の「心を開く」ことです。この作業は参加する前のメールでのやりとりやホームグループの活動、当日の受付や会場づくりなどの受け入れ側の準備にも現れていました。参加する「人」を大切にする(尊重する)姿勢ががあり、それは参加者を教えるのではなく共に気づこうとする態度ではなかったかと思います。難波(キャット)氏のワークショップでは楽しみながら名前を覚えたり、徐々に身体接触を行い、グループで課題を解決するようなアクティビティーまで引き上げていきました。笑いと共に参加者の心が開くのが見えてきました。各ワークショップでの「アイスブレーク」でも同様なことが行われていたことと思います。
そして、ふりかえりの時間で自分の感じたことを話すことでいろいろな考えや気づきを「共に感じる」(共感)事が出来ました。ここではむしろファシリテーターは存在をなくして参加者が主体的に自主的に発言していました。感じたことを分かち合う(Share)ことでファシリテーターとしても新しい発見があったのではないでしょうか。
「場づくり(雰囲気)」 「心を開く」 「共感」 の各段階でも方法は一つではなくファシリテーターとしてはいくつかの手法を準備していたように見えました。参加者のプロセスを見ながら、その手法を変えてワークショップを展開し、どんどん中に引き込んでいかれました。ファシリテーターはいくつもの引き出しを準備して、場の雰囲気と参加者のプロセスを読みながらファシリテートしている、そんな小気味よさを感じました。
参加者の目的は「自分自身が変化する」事ではないでしょうか、気づいたこと、体験したことから実社会でそれを生かせるように自分自身で気づきを租借して持ち帰ったのだと思います。しかし、赤城で感じたままを家庭で話しても相手にとってはそれは意味を持たないかもしれません、おそらく自分が感じたことを職場の同僚に教えても理解されないでしょう。その場で一緒に体験したものしかその気づきを共有できないからです。体験学習の学びはやはり体験的な学びで伝えていかなくてはならないのでしょう。れが参加したものの課題ではないでしょうか。
レポートボランティアとしてワークショップをじっくり見ることで、私自身すごく得をしました(儲かった)。一番の収穫はゲストのみなさんにから得たプロフェッショナルとしてのプロセスを見る視点を共に体験出来たことです。
この機会を与えてくれた実行委員会と西田所長そして共にがんばったレポートボランティアのみなさんに感謝いたします。