橋本久仁彦 インタビュー
エナジーボートに乗って
聞き手:青木将幸
マーキーこと青木将幸です。
橋本さんの本拠地、シアター・ザ・フェンス(大阪)にてお話を聞きました。娘さんも同席してのインタビュー。なかなか、味わい深いものでした。

橋本 久仁彦(はしもと くにひこ)
カウンセラー/プレイバックシアター・プロデュース
1958年生まれ。大阪市出身。高校教師時代は「教えない授業」を実践。アメリカやインドを遊学の後、龍谷大学でカウンセラーを10年間勤める。2001年龍谷大学を退職。プレイバックシアター・プロデュースを立ち上げ、その研究と普及に力を注いでいる。 >プロフィール・ページ
エナジーボート=自分の舟に乗っていたい
──最近よく海外に行ってらっしゃるのは、なぜですか?
橋本久仁彦:9年ほど前、大学にカウンセラーとして勤めてて、途中から管理が強くなってき て、「なんか自分の居場所じゃないなぁ」と思い始めていたんです。「面接は30分で切り上げて、これまでの倍の件数をこなせ」と言われたり、トイレにいても携帯に呼び出しをかけられたりしてね。
そういうのが嫌で、逃げ出すように散髪屋にいって、ぼけーっとなって髪を切ってもらってた時に、壁に貼ってあるポスターを見たんです。
──どんな?
橋本:灰谷健次郎が同乗するピースボート。
それを見て「これはすっごい啓示だぁ!」と思って。こんな大学なんか辞めてしまって世界一周してきたら、何かが変わるぞ!ってね。「俺を世界が待っている!!」みたいな。(笑)
──それっていくつの時ですか?
橋本:大学を辞める直前だから、41才くらいかな。
その時に「世界」のイメージを得て、久しぶりに元気が出たもんだから、家に帰って嫁さんに嬉しそうにうわーっと話したのね。そしたら「そんな金どこにあんのー!」って怒られて、しゅーんとなってね。ははは。でも、結局その数ヶ月後に大学を辞めました。
──そうでしたか。
橋本:でもそのおかげで、僕のビジョンとしては、ピースボートっていうより、自分がやりたいことっていう「舟」の真ん中にいたいんやなぁー、ていうのがわかってね。
「エナジーボート」って呼びかえて、ホクホクしてた。自分のエネルギーの真ん中にいたい、自分の舟に乗っていたいということ。
──そのボートのイメージで独立した。
橋本:自宅の一室を使って、自分のフィールド、自分のエネルギーの中で活動したいと思ってね。できることといえば、エンカウンター・グループであったり、カウンセリングの面接だったり。プレイバックシアターもね。
で、そんな時に、沖縄の無人島キャンプで出会った若い男がいて。彼が僕のもとで勉強したいって言い始めてね。東京から引っ越してきて、日参するように絡んできたんだね。
──彼が「海外へ行こう」と?
橋本:うん。はじめは「カンボジアに行って、子どもたちにゲームを教えてあげたいから、グループでできるゲームを教えてくれ」って言われて。
──カンボジアですか。
橋本:彼の叔母さんが、カンボジアの人々を援助するNGOに関わってるとかでね。ゲームなら教えてもいいけれど、僕自身は100%行く気なかったんだよね。カンボジアが世界でいちばん嫌いな国だったから。
──なぜ?
橋本:僕が学生の時に、ちょうどポルポトの虐殺があって、テレビつければ、虐殺の放映で、その殺し方も非常に残虐。短い間でたくさん殺したっていうことにかけては、人類史上特筆すべき規模だった。
35歳以上の人が消えてしまった。眼鏡をかけているだけで知識人だということで殺されてね。完璧に文化を破壊した虐殺だったんです。
──それで行きたくないと。
橋本:でも彼が日本に帰ってきて「やっぱりすごくいい所やぁ。プレイバックシアターをカンボジアに伝えたい」って言う。最初は「ちょっと嫌やな」って感じだったんだけど、彼の僕へのコミットが誠実なものだったので、助けになってやりたいなぁみたいな感じがあったね。
現地の情勢も前ほど危なくないようなので、「1回行くかぁ」って思うようになったんですよ。
現地の人とつながれる方法
──どんな旅だったんでしょう?
橋本:初対面のメンバーが空港で集合して、すぐ出発するようなツアーじゃないのがいいなと思ってね、事前にワークショップをしたんです。
非構成的エンカウンター・グループとかプレイバックシアターをやって、お互いのことを知ったり、なんでカンボジアに行きたいと思うのかという点で確かめあったり。
そのプロセスで「私、今回は辞めます」という人は辞めてもらっても全く構わない。行く必然性のある人だけが残る。まぁ、いわばオーディションです。
そんなチームで向こうへ行って、空港で暇があったら集まって語り合い、何かを体験したらホテルでエンカウンターして、シェアしながら旅をする。いわば「移動するエンカウンター・グループ」みたいな感じでね。しかも起こる出来事は、ハプニングの連続だから新鮮でリアル。
それを互いにシェアしながら、互いにプレイバックしながらの旅でした。
──現地の人との交流に、言葉の壁は感じませんか?
橋本:エンカウンター・グループだとね、さすがに言葉の壁があります。
でもプレイバックシアターだと、間に少々不慣れな通訳が入ったとしても、目に見える作品(即興演劇)として提示できるので、現地の人たちと自然につながれる。
昨年11月のタイでのツアーでは、民家に泊まったんですけどね、ご家族達の一人ひとりの気持ちを全部プレイバックしてさしあげると、非常に感動してくれるんだよね。
カンボジアの人もタイの人も、「自分の国ではこんなのは見たことない」と言って喜んでくれる。
──そうでしょうねぇ。
橋本:芸術は国境を越えるってホンマだなあ、と感じてます。
こういうツールを持っていることも大きいかな。日本人メンバーの中ではエンカウンターをし、外に向かってはプレイバックやダンスをしながら進んでいく旅、みたいなのが、方法論的に確立しつつあってね。
面白いなーって思っていて。このやりかたで、世界のどこでも通用するんじゃないか、みたいな仮説まで持っている。
──世界中!?
橋本:現地事情を知った仲間が一人と通訳がいれば実現できる、というノウハウが出来てきたので、どこにでもいける感じになってきた。助成金に頼るでもなし、行きたい有志を募って行くならば世界中どこでも到達できる、 という思いは、ちょっと僕、気持ちいい。
というわけで、こうした方法にまつわる魅力が、海外に行っている理由の1つかな。
──他にも理由が?
橋本:もう1つの理由は、第一回カンボジア遠征でプレイバックシアターをしたクラスの生徒のなかに、ペインリーという高校2年生ぐらいの男子がいてね、彼との間にこんなやりとりがあったんです。
日本へ帰国しようとする日のこと。ダンプが通ったら砂が舞い上がるような乾ききった平原の真ん中の道に、彼一人、僕を待っていてね。カタコトの日本語で「マタキマスカ?」って聞くの。
僕は、カンボジアが嫌いでしぶしぶ行った感じがあったので「また来るかどうか、わからない」と正直に言ったんだけれど。彼がこう、じぃーーっと僕の目を見つめながら、覚えたての日本語で「ワタシ、、、マチマス」と言った。
その時、決まったね。もう1回行くってね。
──じん、と来ますねぇ。
「つながり」が僕の本質

写真は2005年のワークショップより(Photo: 横田 徹)
橋本:それでカンボジアにまた行こうって気になってたりしてね。なんかそういうもんで、僕は動かされるんよね。
──カンボジアへと誘った彼や、ペインリーさんの話もそうですが、橋本さんはワークショップの参加者と個人的な「つながり」をつくって、そこから影響を受けて動いているように見えます。
橋本さんにとって、参加者はどういう存在なんでしょうか? 「友達の予備軍」みたいなもの?
橋本:おっしゃるとおりです。そうじゃないワークには興味ないです。なぜ、興味ないかというと、やっぱり自分のエネルギーに乗っている感じではなくなってしまってね。
──そうじゃないワーク、例えば?
橋本:例えば、学校で教師として教えている時。
あの時、無数の生徒に教えた覚えがあるのに「つながり」はあまり無い感じがする。あんまりエネルギーの中に乗ってなかったんだなぁ、と思います。
ただ、高校の教師だった時に「教えない授業」というのをして、底辺校で生徒や先生とやりあった時は、「つながり」があったんです。
(「教えない授業」については2004年のインタビューを参照)
僕にとってはエンカウンター・グループのような形でやった場合に「つながり」が感じられるんだなあ、というのが経験的にわかってきている。
──もう少し詳しく。
橋本:たとえばカウンセリングを学んできた道もそうですね。
いい先生と出会ってきました。が、その先生は、もう僕にとっては単なる先生ではなくって、本当につながってくれた人。その「つながり」によって、自分の道が見えたというか、あるいは用意されたというか。
いつも相手がいることなので、自分ひとりでここまで来たというよりは、相互作用や出会いによって、自分の生き様、生きる道筋が決まってきた。
──つながりが生き様を。
橋本:今回のフォーラムもそうです。
人生の後半に入って、今日インタビューしてくれている2人とも出会って、今この瞬間の、自分が生きている場ができている。これ、つながりだね。このフォーラムになぜ面白さを感じるのかっていうと、つながりのある人とやれるからですよ。
──つながりの無い人からの依頼もある?
橋本:依頼があるのはすでにつながっているからだ、という感じだよね。もし、個人的なつながりが無いのなら、そもそも何も生じないと思います。「つながり」っていうことが僕の本質かなぁって。
人間としての作法
橋本:つながりって言うと、何かパイプラインみたいなイメージが浮かぶかもしれませんが、ちょっと違うかも。仲間とか友達っていうのと近いねんけどねぇ。
相手の身に起こったことは、僕の中でも起こっている、とでもいうか、、、、。この感じどう言えばいいのかな…?
例えば自分の子どもが悩んでいたら、内容はわからなくっても、親も一緒に悩むよね?
──はい。
橋本:そんな感じ。同じエネルギーを共有するんですよ。それを「つながり」と言っているんだけど、うーん、もっと強いものだよね。「つながり」って言っちゃうと、つながったり切れたりしそうだけれど、もうちょっと強い。
── 一体化とか?
橋本:「含まれている感じ」ですかね。表現が難しいですが。
依存し合ってるのとは、違うつもりでいるれどね。たとえばある立場のセラピストには「依存」と呼ばれるかもしれない。
でも、実際、僕がカンボジアに行っているのは、そのペインリーって生徒の気持ちに触れたからです。彼の目の中に、自分の息子とか、何か自分にとって非常に親しいものを見たのだと思う。
──彼に息子を見ていた。
橋本:うん。プノンペンのトゥールスレーンっていう場所でね。虐殺された子どもや若者の写真が並んでいるところの、一つの写真の前で、僕立ち止まって。なぜかというと、息子にそっくりな目をした男の子がいたんだねえ。
非常に心に残って、なんかこう涙が出るんだよね。それも僕をカンボジアへと引っ張ってる要因のひとつになるんだけど、それが僕の親子関係を投影した「依存」だ「転移」だと言われれば、その通りだって思う。
でも僕は人生それで動いているし、そのお陰で非常に面白い。
冷静な人からみたら他人の人生との区別がつけられない奴だと思われるかもしれないけれど、僕とっては非常に面白い人生が展開しているから、それをたとえば「依存」という言葉では…ちょっと説明できなくなってきていて、、、。
なので、その「一体化」ってことに関しては、もっと深く、神秘的でね。そう簡単に心理学的な用語や知識で語れないと思えてきて。心理学がすごく狭くみえてきてるんだね、最近。
──カウンセラーとして心理学のバックボーンを持ちつつも、それ以上の、何か強力な方法論を今、海外に行くなかで見つけつつある。
橋本:そう言っていただければ、そうかもしれません。まぁ方法論と言ってしまうと、再び、なんらかの見方に入る感じがありますけど。要するに、生きる喜びや面白さをさらに見つけた。
──生きる喜び?
橋本:以前は、エンカウンター・グループとかワークショップが生きる喜びで、日常と比べればそれは素敵だと思ってやってきたけどね。今度はダイレクトに世界に出るっていうか、ダイレクトに人とつながることに、移りつつある。
本当の気持ちを表現するとか、丁寧に敬意をもって聴くとかって、こんなのセラピーっていうより、人としての「作法」ですよね。相手に敬意をもったときに自然に出てくる必要な作法。
カール・ロジャースは、それを指摘しただけだと思うんですけれど、その態度をもって、 外に出て行って、ダイレクトに人や現象とつながると、「地球の上に生きている!」という感じがするんだよね。これが僕の欲しいものだったと思います。
言葉を変えると、「地球に起こってることと自分は、分かれてない」ということですよ。
世界のどの出来事も、自分の上に起こっていることで、コミットがあるっていうこと。そして、そのコミットの中にいる時にごっつい幸せ。その時に、自分自身とも本当にコミットしているし。
──ふむむ。
橋本:自分というのがこう広がっていって、地球全体が自分のエナジーボートだと言ってしまってもよいような体感があるわけです。これに勝る面白さは無い、と思いますね。
残りの自分の人生、さほど長いと思っていないです。マラソンでいえばねえ、もう折り返してだいぶ走った感じがある。残りゴールまでは、そこは妥協したくない。自分のエネルギーの真ん中で、ずーっと生きたいね。死ぬ時は真ん中で死にたい。
でないと、「死ねない」というのが僕の仮説なんだね、おそらく。死んでも死ねない、死ぬ実体が無いわけだから。そういう時は、まるで幽霊のようになるんだよな。
──成仏できないってこと?
橋本:うん。自分の成仏のためには、この方向でいいと思います。
「あんただけ、成仏していいのか!」って、また嫁さんに言われそうですけれど(笑)。ここは、究極的には自分の問題です。家族も大事だけれど、家族よりももっと大事なのは、自分と自分の魂との関係やなぁ、という視点がでてきたね。
──色々興味深いです。お話のつづきはフォーラムで。
【おわり】
橋本さんお薦めの本:
「場所の現象学 没場所性を越えて」エドワード・レルフ
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