西村佳哲 インタビュー
「エネルギーの塊」としての人間
聞き手:青木将幸
マーキーこと青木将幸です。2008年12月、フォーラム g ディレクターの西村佳哲さんにインタビューを試みました。

岡山・ベネッセでのワークショップより(2005) Photo: Toru Yokota
西村 佳哲(にしむら よしあき)
1964年東京生まれ。プランニング・ディレクター。
つくる/教える/書く、三種類の仕事を手がける。コミュニケーション・デザインを主領域とするデザイン事務所・リビングワールド代表。全国教育系ワークショップフォーラム実行委員長(2002~04年)。働き方研究家としての著書に『自分の仕事をつくる』(ちくま文庫)がある。
「すでにある」を感じる=センスウェア
──西村さんはデザインの仕事をする一方、ワークショップにも関わっている。2つの違った側面を持っているようにも見えます。
西村:うーん、同じつもりなんです。リビングワールドでつくっているものって、「風が吹いている」とか「鳥が鳴いている」とか「音が聞こえる」という感じのが多い。「地球が回っている」とかね(笑)。
参考)風灯、西表島の音、アースクロック
そういったデザインの仕事とワークショップ、特に非構成的エンカウンターグループとかで面白がっているものって、そう変わらないんです。
──え、そうですか?
西村:うん。それは「すでにある」ってこと。
──というと?
西村:あたらしく面白いものを作らなくても、風は吹いているし、鳥は鳴いているし、地球は回っていて、それを感じるだけで実は充分面白い。
人間もそう。人生の目標をなにか手に入れなければならないわけじゃなくて、自分の内側で湧いているものとか、あらかじめもっている動きの質やベクトルがあって、それを感じると面白い。
共通タイトルは「すでにある」じゃないかな。
──我々は「すでにある」ものを見失いがちだなぁと、西村さんは感じていますか?
西村:そうねぇ。見失っているっていうか、外側から来る情報が多いから。
自分の中で響いているものがあっても、そっちに意識が向かなかったり気づかないことが、多分にあるんじゃないかな。「あの人があんなものを買った」とか「あの人はこんな風に仕事が上手くいっている」とか、「あの人の家が恵まれている」とか…(笑)。
──分かります。
西村:隣近所とかね、外のことばっかり気になるという状態は常にあるでしょう。
すごい夕焼け空の下で、携帯電話の画面をピコピコやってたり。誰かが用意した情報をせっせと処理している。社会が人間のつくった二次情報で溢れかえっていることも、「すでにある」ってところから剥離してゆく原因なんじゃないかと思う。
──最近、西村さんが非構成的エンカウンターグループに関心をよせているのは、「すでにあるもの」を丁寧に感じやすいスタイルだから?
西村:そうですね。近いと思う。僕、10年ぐらい前から「サウンドバム」っていうプロジェクトをやっていてね。
レコーダーを持って出かけると、旅の質が変わるんですよ。カメラだとパシャッっと瞬間で終わっちゃうけど、録音機を回し始めると、まあ最低でも一分間くらいは黙っている。
じっと黙ってると、聞こえていたのに聴いていなかったものが、どんどん耳に入ってくるんです。
風が吹いて梢が鳴ってるとか、むこうで赤ちゃんが泣いてるなぁとか、遠くから雷が近づいているとか。あったのに気づいていなかったものが見えてくると、もう面白いんだよね。
自分から情報を発信するのをやめて、全面的に受け入れるって状態になっているときに、世界が変わる。
──むーん。
西村:ヨーロッパの石畳の街だとね、車のクラクションが鳴ると街全体が乾いた音で響く。アジアの街なら湿った感じでとどいてくる。音の響きは、場所を丸ごと表現するんです。
ワークショップで喋っている人の声も同じで、その人のその時の存在のあり様を、そのままあらわしているんじゃないかな。
非構成的エンカウンターグループに初めて参加して、しばらくたった頃、「これはすごく似てるなぁ」って思ったんです。
──それは過ごし方とか、関わり方、聴き方が変化するというイメージ?
西村:そうだね。「すでにあるもの」がふわーっと浮上してくる感じ。そんなわけで僕らがデザインでやっていることと、ワークショップでやっていることは、似ている感じです。デザインにせよ非構成的エンカウンターグループにせよ、「センスウェア」(世界を感じるための道具を指す造語)をつくっている。
見えないうちはできない
──西村さんとワークショップとの出会いは、いつごろ?
西村:32才、勤めていた会社を辞めて2年目のころじゃないかな。アメリカのIDEOというデザイン会社のワークショップに参加して、「こういう教え方や、価値観や大事にしたいことを共有する方法があるんだ!」というのを感じました。
いわゆる「体験を通じて教える」やり方ですね。そして大学の授業で、自分も模索していくわけです。授業をワークショップ的にやりたいって。
でも、「ワークショップ的とは何か?」が、だんだんわからなくなってきた。
体験を使いながら「教える」一方、「ワークショップという場はあらかじめ答えがありません」と言いたがる自分もいて。いざワークショップ的にしてゆくと、授業として悪くはないんだけど、どこか矛盾がある。
その矛盾がどうにも解決できなくて、「これは一体何なんだ?」っていう感じをずーっと持ち続けていて。
西田真哉さんとの出会いもあって、それを全国教育系ワークショップ・フォーラムという場を通じて考えていったんです。
──赤城でのフォーラムは2002年から3回実施されています。
西村:その3回の中で、「ワークショップってなんかすごく自由だけど、不自由だ。何なんですかこれは!?」っていうのを、仲間やゲストに次々とぶつけていくわけ。中野民夫さんとか、とばっちりだよね(笑)。
──ははは(笑)。フォーラムを開催した個人的な収穫は?
西村:最大の収穫は、ワークショップに対する解像度が高くなったということです。見えるようになった。
これはデザイン教育的な考え方なんだけど、モノがどうできているかが見えるようになると、それをデザインできるようになる。デザインの教育は、名建築の模型を作ってみたり、よい作品の図面をモノから書き起こしてみたりするんですよ。
そうすると、「ホントによく出来てるなぁ」とか「あーこういう風に作っているんだ」、というのが見えてくる。一つひとつのカーブが持っている意味が見えてくる。
それが見えないうちはできないんです。でも見えてくれば、できる可能性が出てくる。
──「教える」と「あらかじめ答えはない」の矛盾も解決された?
西村:教えるか・教えないか、じゃなくて、要はその場を担うファシリテーターの資質次第なんだな…と思うようになった。
「どうあるべき」じゃなくて、このファシリテーターには「こうしかできない」というか、そうするのが一番ナチュラルで機能する立ち位置ってのが、それぞれ全く違うバランス感であるんですよね。
与えられているミッションとか、その場の設定によって変わってくる部分もある。しかし、何にせよバランスなんだって(笑)。
──自分で納得のゆくバランスをとっていれば、それで良し、と。
西村:いや、自分でというより、その場とともにバランスをとってゆく、ですね。
この段階に至ってキープの川嶋直さんがよく言ってた、「ケースバイケースですよ」という言葉の意味合いが、ちゃんと輝くようになってね。川嶋さんは何を聞いても「ケースバイケース」って答え方をするんです。あらかじめ固まっているセオリーなんてない。本当にそうだ!と思えるようになったのは、最近のことです。

多摩美の授業「プレデザイン」より(2006) Photo: Kyosuke Sakakura
「エネルギーの塊」としての人間
──2009年、今回のフォーラムgで西村さんが試みたいことは?
西村:人の力を引き出す仕事をしている人達に、昔から興味があるんです。いつ頃からかなあ…、ずいぶん前からだと思う。すごく鮮明になるのは会社員時代(20代)の後半からですね。働き方研究の序章のような感じで。
働き方研究(著書「自分の仕事をつくる」を参照)の中で、僕は「みんなどんな働き方をしているんだろう?」という興味と同時に、「どんなふうに人の力を引き出しているんだろう?」ってことにすごく興味があったんですよ。人の力を引き出すものに関しては、ことごとく興味があった。それがオーケストラの指揮者であろうと、学校の先生であろうと、会社の社長であろうと。
人の力を引き出せる人って感動的だなぁと思って。なんで感動的かっていうと、みんな力を発揮したいから。
──人は力を発揮したい。
西村:人間ってエネルギーの塊で、その力をなんとか発揮したいと思って生きてるわけですよ。できれば、死ぬまで発揮したいって思っている。
だからその契機を与えてくれたり、発揮する方向に促してくれる場や人に、ものすごく惹かれるんだと思うんです。
それを可能にしてくれる人のことを、まわりの人間はほっておかないので、プロデューサー教育とかファシリテーター教育とかそういうものを受けなくたって、資質のある人は自然とそういうポジションに立って行く。立たされるというか。
そういう意味でも、養成プログラムってあまり意味ないなと思っている。
──ファシリテーターは養成しなくてもよい?
西村:そういう器やセンサーを持ってる人は、勝手になるから。逆に、憧れてそういう人になってゆく人は始末が悪いかも。いや、実際は僕も憧れがありました(笑)。力を引き出せちゃう人って、ヒーローだ!って感じでね。
でも、違うんだよなー。引き出しているというと語弊がある。
これは最近言葉になってきたんだけど、そういう人たちは生命(いのち)に敏感なんだ、っていうことが良くわかった。
彼らがやっているのは、引き出すっていうより、「生命が成長していくのを止めないようにする」ってことなんですよ。その一点において、非構成的エンカウンターグループのファシリテーターがやっていることも、オーケストラの指揮者がやっていることも全部同じなんだと。生命に敏感で、それが成長するのを止めない。
エネルギーって言い換えていいと思うんだけど、それがいまこう出てきてるとか、どっちの方向へ向かっているとか、ちょっと下がってきたとか。それに鈍感な人にはできない(笑)。
生命に敏感だというのはなかなか凄いことだと思う。だから感動的なんだ!って、自分の中で納得がいった。
──今回のフォーラムgのテーマは「人間」です。
西村:そう、テーマ「人間」なんですけれども、人間って要するに生命(いのち)なんですよね。で、それは他でもない、その人のものなんだよね。
それをどう扱うかという「態度」が、ファシリテーターのような存在にはすごく問われているというのが、いろいろ模索してきた結論。なのでそこについて、なにか皆で出会えたら楽しいかなと。
──そのあたりで、皆と出会えたらということですね。
西村:そこが最前線。
【おわり】
西村さんお薦めの本:
「ホエール・トーク」クリス・クラッチャー
「人間の土地」サン=テグジュペリ
